第一回ネットサロン 「東京から送り出された満蒙開拓団と大陸の花嫁」

 

武蔵小山の荏原第一区民集会所の和室でお菓子をつまみながら、くつろいだ雰囲気でお話を伺いました。(左上の写真)資料を手にお話をする藤村妙子さん2015.10.22

 10月22日(木)に開催した、記念となる第一回ネットサロンは、東京の満蒙開拓団を知る会の藤村妙子さんを講師に迎え、昭和19年武蔵小山商業組合有志を中心に結成された開拓団についてのお話と、戦争中、国策によって行われた満蒙開拓団について、伺いました。

 2009NHKが制作放送した、証言記録市民達の戦争「強いられた満州への転業移民 武蔵小山商店街が消えた」を参加者全員でまずは鑑賞。
そこには戦前日本一の商店街として武蔵小山商店街が栄える様子、商店主の人々が知恵を出し合い協力して街を盛り上げている様子が生き生きと描かれています。そして戦争が人々の暮らしに暗い影を落としはじめ、物資不足で店に並べる商品がなくなり、戦争中に商売をしている非国民と呼ばれ、軍需工場で働かされ、あげく武蔵小山商店街の人々は店を廃業し、満州に新たな活路を求めて一家全員で旅だっていったのでした。その数1039名。 

一年後の敗戦で国から棄民にされ、逃避行のすえ、銃撃、集団自決という最期を迎えます。日本に帰国されたのはたった10数名だということです。その当時、満蒙への移民を押し進めた当時の岸信介商工大臣の姿や、集団自決へ向かった人々の様子も番組では生々しく語られています。この番組はNHKアーカイブで視聴することができます。

その当時の詳しい史実は、藤村さんたち「東京の満蒙開拓団を知る会」がまとめた『東京満蒙開拓団』ゆまに書房で詳しく読む事が出来ます。 

現在私たちが暮らす、品川で数十年前に起きた悲劇を今まで全く知りませんでした。わずか一世代前のことです。足下の自分たちの史実を知る事が、歴史を生きたものとして受け取ることができるのではないでしょうか。武蔵小山商店街にほど近い、朗惺寺には開拓団の方々の慰霊碑があります。

国家が始めた戦争で人生を奪われたこと、人権無視の労働力の駒として人を扱う国家権力の恐ろしさを忘れてはならないと痛感しました。(青木 京子)

【ネットサロン】
生活者ネットワークは、行政や議会だけがまちづくりのルールを決定する時代から、そこに暮らす市民がまちをつくる時代へと変えていくことをめざしています。食や水など暮らしのこと、憲法問題や、文学にあらわれる地域の歴史、「それって政治だね」を合言葉に、おりおりのテーマで市民が交流する場が、「ネットサロン」です。